田町~御成門
今回はJR田町駅から日比谷方向への散歩コースを紹介します。
田町駅と周辺
西郷隆盛
田町駅の改札を出て三田口(西口)のエスカレータ乗り場に進むと「西郷南洲・勝海舟会見の図」が飾られています。
その絵の左下の説明によると、幕末の1868(慶応4)年3月14日に西郷隆盛(西郷南洲)と勝海舟が田町駅の近くの薩摩藩の蔵屋敷で会見して、西郷隆盛は江戸に対しての総攻撃を行わないことを決定したそうです。
芝地区
西郷隆盛と勝海舟との会見場所は、田町駅を出て第一京浜を新橋方向へ徒歩2分です。より細かく言うと、第一京浜から日比谷通りが分岐する、芝5丁目交差点の付近で行われたのです。その会見の記念碑はビルの建替え工事中のため、今しばらくは実物を見ることはできません。工事現場の塀に写真だけが代わりに飾られています。
工事中で写真でしか見ることができませんが、石碑の表は西郷吉之助の書であり、裏には江戸開城の円満解決を記念する説明が刻まれています。
現在の工事現場の横を通り、JR線の横に行くと江戸時代に雑魚場(ざこば)と呼ばれていた魚市場の跡地の公園があります。日本料理に使うエビの代表格は芝海老(しばえび)ですが、その名はこの芝の周辺で漁獲されていたことに由来しています。
砂場の中の遊具は、この付近が海だったことに因んで、船を形どっています。
日比谷通りに戻ると、NECの巨大な本社ビルが迫ります。
正面玄関前の社名は「日本電氣株式會社」になっています。
芝公園と増上寺
野球場
日比谷通りを進むと首都高速環状線の下の芝園橋を渡ります。
すると左側に都営の野球場を見ることができ、その奥にはテニスコートもあります。
芝東照宮
次に現れるのは徳川家康公を祭った芝東照宮です。
由緒を説明する立札の最後に第三代将軍の徳川家光公により公孫樹(イチョウ)が植えられたことが述べられています。そして、その古木が右の写真のとおり天然記念物に指定されているのです。
旧台徳院霊廟惣門
日比谷通りを進むと、写真の左奥、ホテルのザ プリンス パークタワー東京への通路の入口に、重要文化財の「旧台德院霊廟恐門」を見ることができます。
門の中の仁王像は江戸時代の作品としては損傷が少ないことから、港区指定有形文化財になっています。
ペルリ提督の像
日比谷通りの逆側の公園の中には、幕末に黒船で来航したペルリ提督の像や、1860年の日米修好通商条約批准書交換のための遣米使節を記念する石碑があります。
増上寺
浄土宗大本山であり、歴代の徳川将軍家の墓所でもある増上寺が次に現れます。
正門と言える三解脱門(さんげだつもん)は別名「三門」とも呼ばれ三つの煩悩「貪欲(とんよく・むさぼり)、瞋恚(しんに・いかり)、愚痴(ぐち・おろかさ)」の三悪を解脱する悟りの境地を表すそうです。
御成門
現在の御成門交差点は左のとおり、四車線の広い通りで東京マラソンでも通過します。しかし、江戸時代は右の門が増上寺の裏門として現在の交差点の真中の位置し、徳川家の歴代将軍が増上寺での先祖の墓参りの時に通行したそうです。
御成門交差点から芝公園に入ると、「北海道大学の前身である開拓使仮学校」がここにあったことが石碑に刻まれています。
また、第二次世界大戦の空襲による焼け跡を残すイチョウの大木も公園の中にあります。
最後に御成門交差点から伸びている芝公園の道は、東京タワーを正面から眺めることができるように設計されています。
夜のライトアップ時は見ものです。
以上、田町駅から御成門交差点までを紹介しました。
コロナウィルスが落ち着いたら是非お出掛け下さい。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。