大森駅周辺
自宅からの徒歩圏内のスポットの紹介を続けます。
今回はJR大森駅の周辺を紹介します。
天祖神社
大森駅の西口を出ると正面に天祖神社へ登る石段が目の前にあります。
石段
石段はかなりで急で真直ぐに伸びています。
石段の始まりの右側には石碑があります。
稲荷神社
石段の中腹から左の脇道を行くと、稲荷神社があります。
近づくと狐の表情もはっきりと見ることができます。
本殿
石段の続きを登ります。かなり急な勾配です。
登り切ると奥に本殿が見えて来ます。
人気はなく、落ち着いてお参りすることができました。
御神木
境内には樹齢約400年の椎の木が御神木として聳えています。
毎年秋には多くの実を付けるそうです。
八景坂と馬込文士村散策のみち
天祖神社の石段を登らず左側に進むと、そこが八景坂です。
八景坂の由来
八景坂は大田区文化財に指定されており、別名「やけんざか」と呼ばれていたことなどが立札に以下のとおり解説されていました。
「今でこそゆるやかな坂道であるが、昔は相当な急坂で、あたかも菓草などを刻む薬研(やけん)の溝のようだったところから、別名薬研坂と呼ばれた。
この坂の上からは、かつて大森の海辺より遠く房総まで一望でき、この風景を愛した人たちにより「笠島夜雨、鲛州晴嵐、大物暮雪、羽田帰帆、六郷夕照、大井落雁、袖浦秋月、池上晩鐘」という八景が選ばれ、八景坂というようになったといわれる。」
馬込文士村散策のみち
八景坂の右側は先ほどご案内した天祖神社の石垣になっています。
そこには大正から昭和にかけてこの付近に住んで文筆活動をした文士に関するレリーフがいくつも飾られています。
関東大震災のあった大正12年に尾崎士郎・宇野千代夫婦が馬込に住み、その後、多くの文士がこの付近が活動したことが記されています。
多くの文人の顔が飾られています。
大森丘の会
「大森丘の会」は芸術家を中心として集まり、山王周辺の芸術家や文士の社交場であったことが刻まれていました。
左より、日夏耿之介、川端龍子、小林古径
後ろの建物は、望翠楼ホテル
馬込放送局
尾崎士郎・宇野千代夫婦の家の中は賑わい、馬込放送局と呼ばれていました。
大正末期の新しい流行
大正末期に麻雀カフェーや断髪姿のモダンガールが登場したことなどを紹介しています。
麻雀カフェー
「文士村の女性たちが相次いで断髪。モダンガールは馬込村の人々を驚かせた。」と刻まれています。
左の肖像は上から、吉屋信子、川端秀子
昭和の初期のダンスパーティー
ダンスパーティーには萩原朔太郎夫婦や、室生犀星、宇野千代などが参加していました。
朔太郎・犀星の周辺
女性文士の活躍
大森相撲協会
文士による相撲協会も存在しました。
文士たちによる相撲大会
年表
「馬込文士村と山王馬込の移り変わり」の年表も見ることかできます。
大森テニスクラブ
西へ少し歩くと大森テニスクラブがあります。
天気の良い日でしたが、コロナウィルスによる緊急事態宣言対応でテニスクラブは休業しており、誰もプレーしていませんでした。
おわりに
外出自粛要請の折、公共交通の使用は慎みますが、健康維持のための自宅付近で人混みを避けた散歩は続ける予定です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。